今回は「【伝説】ユノ少年と驚愕のオーディション風景~練習生への道のり~」です。
本題に入る前に東方神起人気ブログランキングをチェックしてみて下さい。
今回はK-POPの帝王、ユノの原点を振り返ってみたいと思います。
当時の若くてピチピチなユノに、ちょっとタイムスリップして、思いをはせてみませんか?
(練習生当時のユノの映像)
【伝説】ユノ少年と驚愕のオーディション風景~練習生への道のり~
東方神起が所属する「SMエンターテインメント」は、日本で言う所の「エイ〇ックス」のようなものです。
オーディションに合格するのは非常に非常に狭き門!
そもそも受かるのがキツいです。
当時何があったのかユノ本人が詳しく語ったのは、2012年11月の「強心臓」が有名。
もしかしたらその映像も直接どこかで観られるかもしれませんので、見つけたらご覧になってみてください。
「第1回SMベスト選抜大会」でダンス部門堂々の1位、14歳の時(2000年末頃)にはすでにSMの練習生だったユノ。
数々の伝説が、そこにはありました。
伝説前夜
ユノのオーディションと言えば、まず一番に衝撃を受けるのは、
オーディション前日夜になって、初めて曲とダンスを決めたという事。
え!?
何とユノは、オーディション前日に道ばたで悪い人に絡まれ(汗)、オーディションで使うはずのCDをすべて取られてしまったのでした。
まるで漫画か何かのような展開・・!(汗)
ふと頭をよぎるのが、もしかしたらこの事件によって、
ユノはオーディションに出る事も、練習生になる事も、もちろん東方神起になる事も叶わなかったかもしれない、という事。
本当、良く乗り越えてくれました。( ノД`)
さて、上記の事があってCDを失ったユノ。このままでは何もできません。
しかしここでまた、奇跡を起こします。
何とオーディション前日に宿泊したユノの叔母の所で、偶然にもオーディションで使う事になる代わりの曲を見つけます!
それが、イ・ジョンヒョンの「平和」でした。
本当にたまたまそこにあったものだそうで、これを選んだ理由は、
もともと準備していたダンスと似ていたから、という単純明快なものでした。
よくそんな、まだ少年で全然プロにもなる前なのに、サクサクっと対応できるものですよね。
そういう所からして、すでに未来の王者の風格を感じられる。
そしてやがて、そうやってバタバタしながらオーディション当日はやってきました。
伝説当日
ここでさらにユノは、次々と奇跡を起こしていきます。
オーディションの形式は、一人ずつ審査員の前で「自己紹介」するというもの。
それ自体は一般的なものだと思います。
しかし、聞いてみるとなかなかその時の「空気感」にビビる。
やはり参加者が多かったのか、そもそも時間にシビアなやり方だったのか、
「はい次」「はい次」と、まさにそんな感じにみんな次々と猛スピードでさばかれていったそうです。
怖いですね~。( ̄▽ ̄;)
例えばダンスする時間についても、10~15秒くらい経過して、ちょうどこれからノッてくる!ってタイミングで打ち切られてしまうような感じだったそうです。短っ!
そこでユノはどうなったのか。
反対に、逆境を活かしました。
ユノは、「73番チョン・ユンホです。サランヘ~ヨ~アニモチャラチヨ~カムサハムニダ~・・」と、あえて自ら歌うのを止めたそうです。
もちろん審査員は「なぜそこで止めるの?」と聞いてきます。
そしてそれにはっきりと、
「どうせ止めるじゃないですか」、そう言ったそう。
そしてダンスについては、当時から群を抜いて実力があったユノ、
「落ちてもいいから準備してきたダンスを「最後」まで見てください」と念を押しての披露となりました。
この潔さがとてもカッコいい。
何だかんだでこういういい感じの「生意気さ」は、会社の面接とかでもかえって光るんですよね。
ただでさえ激戦だったわけなので、とにかく他と違う目立ち方をする事は必須だったと思うんですよ。
その点ここまでインパクトのある少年はいなかったのでしょう。
伝説の人、誕生。
というわけで、結果ユノは全ての状況を見事に味方にして、堂々練習生となったのでした。
やっぱり思うのは、持ってる人って初めから持ってるな、って。
ユノは正真正銘、奇跡の人だって、こんな原点から証明されてるように思う。
(下着姿の少年ユノ奇跡の一枚?)
今回は、「【伝説】ユノ少年と驚愕のオーディション風景~練習生への道のり~」でした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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